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プロフィール
トッコ演劇工房の代表。高校演劇を出発点に舞台の世界へ。劇団りんごの木(岩舟)、地域劇団ゆ~もあ(宇都宮)の立ち上げを経て、演劇と教育の可能性を探る。最近はあらゆるジャンルの芸術文化、ボランティアに精力的に挑み、活動の幅を広げる。 カテゴリ
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トッコ演劇工房 東日本大震災復興支援公演
「シラクスの塔楼」 原作:太宰治『走れメロス』より 翻案・演出:高梨辰也 ……あの日、その搭からはひとりの娘の声が響いた。 その声は、生きとし生けるすべての人々への祈りのようにこだまし、 遙か遠く、時間さえも超えて、生きることを語り続ける。 この物語に描かれる英雄たちのひとり。今は亡き、ある娘のエピソード。 日 時:平成24年5月5日(土) 15:00開場 15:30開演 会 場:栃木市栃木文化会館小ホール 入場料:300円(全席自由) 皆様のご来場、心からお待ちしております。
「シラクスの塔楼」第二期、稽古初日。午前中に脚本を修正・印刷し、稽古場に滑り込みセーフ。あまり参加率がよくなかったので、修正を加えたシーン、主役と絡みのある役の抜き稽古をする。役者のできはいいのだが、徹夜がたたってか、テンションが上がらない。新規参加のキャスト(ありがたい!)にタップダンスの振り付けを伝授し、稽古を終える。復活のタップは、生き残って歩くことのできる素晴らしさを体で表現する、短いながらも力強く踊ってほしいシーンである。
帰宅後、坂本真綾「マメシバ」のライブ音源を聴きながら、12月の栃木市栃木文化会館共催事業の公演について考えをめぐらせるが、物凄く眠くなってきたので就寝する。その前にNext Stageの次回公演もあるではないか。うむむ。
「わが星」の演出を務めてからラップ音楽ばかり聴いている。ここまで来ると身の回りの音すべてがリズムに思えてくるから不思議である。電車に揺られて宇都宮市文化会館へ。お世話になったスタッフ様に山吹色のお菓子(!)を渡し、懇ろに謝辞を述べる。
「シラクスの塔楼」の脚本手直し。方向性の違うリライト、第四稿と第五稿が同時に生まれる。どちらを採用するかは明日の稽古で決めよう。スモークマシンの申請も出さねば。就寝3:00。 福田三男・著「宇都宮城物語」読了。宇都宮城の歴史には伝説に彩られた部分も多いが、事実にも語ることの多い城である。
やっとのことで講評を書き上げる。長い戦いであった。今年は特に「どやぁ」とか「ツンデレ」とか「とある…の」とか、現代語の多い演劇祭だった気がする。まあ、高校生が若者の文化を演劇に取り入れてくれるのは大いに結構なのだが、演劇的な魅せ方についてはこれに満足することなく追求してほしい。いくつかの高校ではこれまで高梨が個人的にワークショップを実施してきており、そこで見た顔ぶれが頑張って何かを表現しようとしている姿を見るのは微笑ましかった。(今後も依頼があれば出張を引き受ける所存である。基礎訓練からプロの劇団のビデオ紹介まで、なんでもござれ。)
昼食後、「シラクスの塔楼」の脚本手直しに着手。キャスト変更で殺陣を作り直さなければならないのもツラい。もはや前半は別の話になる覚悟で、題材と対話していく。あくまで作品の本質は娯楽ではないのだから、真摯に取り組まねば。 島遼伍・著「転生 那須与一」読了。ローカルな舞台設定の時代小説にはその土地の風情が滲み出ている。
栃木女子高校 『とある黒子の舞台裏話』 谷中菜摘・作
最後を飾る舞台はメタ高校演劇。リハーサル直前なのに緊張感のないスタッフ達の会話から、あれよあれよという間に、もう笑うしかない本番へ転げ落ちていく。普段なかなか使わない照明や、遊び心のある音響など、創る側の視点で手の内を見せていく手法は斬新に感じられた。 リハーサルではなく、その直前の時間を切り取り、黒子を物語の中心に据えたのは鋭い選択である。そこには確実に創り手しか知らないドラマがある。しかし、舞台上の大きな流れはその設定とは別のところに移ってしまったかもしれない。もしこれが会話に緊張感のあるスタッフたちで、演出の迷走に振り回される展開にしたらどうなっただろうか。もし黒子の役割にさらにフォーカスを絞ったらどうなっただろうか。奥行きのある舞台設定に、いろいろな「もし」が感じられた。 思い切りのいい演技は流石である。これだけハキハキと、高校演劇の裏側をアピールしてくれる作品に出会えることは、それだけで嬉しい。愉快な会話も交えて、演劇の総合芸術たる由縁を感じさせる舞台であった。 p.s. ミニキット……いい名前だと思うのだが。
栃木高校B 『僕らの委員長』 かける・作
女性を舞台に上げることなく、男子高校生の会話だけで女性の存在を成立させる。男子校演劇部の至上命題である。その点で、栃木高校演劇部の取り組みは成功していたと言える。セリフを聞きながら、誰もが頭の中に委員長像をリアルに作ったのではないだろうか。その委員長像は、えてして自分の過去によって修正を受けているものである。それゆえ、なんだかちょっとあの頃の照れくささが心の中に芽生えて、朴訥とした雰囲気の彼を応援したくなったものである。 海岸や、夜の屋上を舞台にしたシーンの繰り返しは客席の笑いを誘っていた。素晴らしいユーモアと、それに伴って崩壊していく委員長像。それを引っ張るだけ引っ張って主人公が「おかしいだろ!」とツッコミを入れた瞬間は痛快であった。そしてラスト、「好きでち!」という間の抜けた本気のセリフ、それに続く(伝統の)銅鑼の音は凄まじいインパクトがあった。 もう20年くらい前の脚本だが、南河内番外一座の旗上げ公演「青木さん家の奥さん」が同じ構造を取っている。ある奥さんにお近づきになりたい青年に、まわりの男たちが茶々を入れ、ののしり合いながら、登場しない架空の奥さんを描く物語である。なんだかそれを彷彿とさせる、楽しい舞台であった。 p.s. ふと思い立って、私が中学校時代に淡い気持ちを抱いていた「委員長」の名前を検索してみた。が、結婚していた。……別に、残念とか、そういうのじゃないんだからねっ。
小山城南高校B 『とある女子高生達の日常』 神山玲奈・作
もしかしたら、演劇で一番難しい役は等身大の役なのかもしれない。ふつう私たちは、明日私たちがする会話を練習しない。すべてその場での受け応えの中で紡がれる言葉だからこそリアルなのである。しかし、それはそのまま舞台上でできるわけではない。舞台で見せるための計算を加える。なかなかできることではないが、これを自然にやってのける小山城南高校の役者たちは、いい具合に力の抜けた演技が持ち味であると本当に思う。 日常というタイトルでありながら、時間の中心軸は卒業式の日に据えられる。様々な回想シーンも交え、卒業式が女子高生としての日常の終着点であるということに気がつく。ピンクや黄色を基調とした、淡い色のホリゾントもよい想い出のイメージを描き出せていた。 登場人物にはそれぞれ個性がはっきりと与えられていて見た目にはわかりやすいが、どうも顔と名前が一致しない。せっかく魅力的に造形できているのだから、もっとひとりひとりのエピソードを掘り下げてほしいと願ってしまう。もっと多くの場面、学校行事や、切ないひとコマなど、いろんな日常をこのメンバーで描いてくれたらもっと表情豊かな女子高生が描けて、卒業式に湧き起こる気持ちもひとしおであろう。 しかし、そういったドラマ性とは無縁に見える、教室での授業を場面として選んだということに感じる意図もある。学校の象徴と言える授業をあえて舞台に上げたことから、彼女らがいかに学校での生活を大切にしているかが透けて見えた。これこそが、もうひとつの「とある女子高生たちの日常」なのだろう。1・2年生のメンバーで、今この舞台が演じられたということはとても幸福なことである。小山城南高校演劇部のメンバーにも、客席で観ていた高校生にも、これから卒業までにたくさんの日常を大切に積み上げてほしい。 p.s. ラストシーン(カーテンコール?)の演出は度肝を抜くものであった。O先生、おめでとうございます。
佐野女子・佐野東高校B 『魔女の夜』 蓬菜竜太・作
真夜中に家を訪ねてくる女優と、それに翻弄されるマネージャー。ふたりだけで演じられる舞台だが、巧みな会話術で物語を巧みに展開させていた。特に女優の演技は、一大事であるべき内容のセリフをさらっと言ってのけることによる恐ろしさがあった。乾いた笑いがそれに拍車をかけている。不思議な魅力を滲ませつつも、狂った歯車のような印象が表現されていた。 女優の方が目立つ役だが、この舞台の本質はマネージャーの反応が握っている。夜の自宅は自分だけの領域であり、その境界に侵入された戸惑いから、人生の脆さに直面する混乱への推移が自然に演じられていた。ふたりの距離感の演じ方、ふたりの会話によって描き出される第三者の存在も丁寧になされており、言葉から漂う雰囲気があった。 アパートの一室で繰り広げられる、人生を揺さぶる葛藤。事実をどう処理するかというやり取りは、私に某アパートでの洗脳事件のことを彷彿とさせた。たったふたりの会話だけで、劇場の空気、観客の心を動かした見事な表現力であった。 p.s. 脚本の選択がシブい。2年前くらいに東京の座・高円寺で上演された脚本である。これからも、いろんな舞台を観たり演じたりして、多彩な表現を磨いていってほしいものである。
栃木農業高校 『友情喫茶』 薺・作
素敵な登場人物が続々登場する、あたたかい物語であった。魅力的であるがゆえに、もっともっと登場人物について知りたいと思ったほどである。店長の抑えた演技は、高校生より一段上の、クールな雰囲気が演出できていた。作戦のことを知って、彼が感情の見せるところをもっと描けば、彼の人間味が表現できただろう。他の店員や、喫茶店の客たちも個性があってよかった。作戦に向けて動く彼らの関係性やコンタクトが垣間見え、最後にそこから紡ぎだされる友情にとてもあたたかい気持ちになった。 装置は小さいながらも喫茶店の雰囲気がよく伝わってきた。舞台に見えている席数は少ないが、見えていない部分はどうなっているのだろうか。どんな匂いがするだろうか。もっと意識をめぐらせれば、それだけ喫茶店のイメージは豊かになっていく。例えばドアベルの音など、素敵な喫茶店を演出する遊び心にまだまだ研究できる余地を残している。 観ていた私もあの空間に加わりたいと心から思った。それだけの世界が描けるということは、とても素敵なことである。 p.s. 日常的に珈琲豆を挽く私にとって、この舞台設定は心をくすぐるものがあった。ぜひあの手ごたえを味わって、挽きたての珈琲を味わっていただきたいものである。
真岡女子高校 『タイムカプセル』 楽静・作
やはりチラシがもたらす先入観は強い。教室の窓の外には桜の木。机の上に赤ワインとグラスがあることはさておいても、どことなく青春の淡いイメージが漂う。卒業式を前にした女子高生の、等身大の物語が演じられるであろうという期待があったが、舞台はそれを見事に裏切る展開であった。 キクカワの常識を逸した感覚、それを当然と信じて疑わない態度はよく表現されていた。それまでの女子高生の会話によってできた日常的な雰囲気をじわじわと浸食して、最後には舞台の雰囲気を支配していった。しかし、舞台上で高校生がワインで乾杯をするという描写は、たとえドラマであっても規範意識として受け入れられない。それ以降、人の道を外れたキクカワの物語が続くのだから、それは序の口なのかもしれないが……。 我々はこの舞台を観ながら、キクカワの行いがおぞましく、間違っていることを知っている。そこから逆に浮かび上がってくるテーマは、保存することのできない「今」の尊さではないだろうか。ワインなどではごまかされない、確かな「今」の積み重ねこそが目に見えない財産であって、それは振り返る時の微笑みとなって還元される。前半の女子高生の飾らない会話こそが、まさにそれである。現実を生きる私たちは、道を踏み外すことなく、大切な時間を積み上げていきたいものである。 p.s. 栃木の某イタリアンで赤ワインを飲みすぎ、劇団のメンバーに赤裸々な過去を大サービスしてしまったのもいい思い出。酒が飲める年になったら、栃木でおいしい赤ワインが飲める店を紹介してしんぜよう。
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